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芯を持って、ゆるく生きる

読んだらちょっぴり勇気の出るブログ

54. 社交的な人はドライなのか

キャリア

こんにちは。じぇいです。

突然ですが「ストレングス・ファインダー」( http://www.amazon.co.jp/gp/product/4532149479/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4532149479&linkCode=as2&tag=geki84-22 )をご存知でしょうか。

 

この本にはパスワードがついていて、ストレングス・ファインダーのウェブサイトからそのパスワードで約30分程度の強み診断サービスを受けることが出来ます。そして、34の強み候補の中から5つを順位づけして結果として提示してくれます。

 

本のタイトルはなかなか怪しげですが(笑)、出てきた結果を見ると納得するポイントが多かったです。ちなみに僕の5つの強みは、

 

 

1.ポジティブ

2.学習欲

3.社交性

4.責任感

5.信念

 

でした。それぞれの項目に思い当たる節があり思わず笑ってしまいました。出てきた強みは5つですが、今回は「社交性」に特に注目して話しを進めていきたいと思います。ストレングス・ファインダーでは社交性を以下のように定義しています。

 

あなたは知らない人と出会い、彼らにあなたを好きにさせることに挑戦するのが大好きです。あなたは見知らぬ人を怖がることがめったにありません。むしろ、あなたは見知らぬ人に元気づけられます。あなたは彼らに惹かれるのです。あなたは彼らの名前を知り、質問をし、共通の関心のあることを見つけ出し、それによって会話を始め、関係を築きたいのです。

 

話題が尽きることを心配して、会話を始めることを嫌がる人がいます。でもあなたはちがいます。あなたは何を話せばいいかを常に心得ているだけでなく、知らない人に近づくことを本当に楽しんでいます。なぜなら、一歩を踏み出して人との関係をつくることから、あなたは大きな満足を得るからです。

 

そして一度そのような関係ができあがると、あなたはそこでそれを終わりにして、また次の人へ進みます。これから出会う人は大勢います。新しい関係を築く新たな機会があります。これから交流を持つ新しい人の群れがいます。あなたにとって友達でない人はいません。ただ、まだ会っていないだけなのです。たくさんの友達と。

 

以上が社交性の定義です。一般的に社交性とは上記定義部分の第1段落と第2段落の意味で用いられることが多いように思います。しかし見落としてはならないのが第3段落の定義です。一度関係ができあがると社交的な人は次の人へ興味関心の対象が移ります。一度関係ができたら深く人付き合いをしていく人からすると、この社交的な人の持つ特徴をドライと受け取ってしまうかもしれません。

 

たしかに僕も社交的でドライだと言われることがしばしばあります。ストレングス・ファインダーでは5つの強みを、持って生まれたものとしているため、基本的にこれら5つの資質が変わることはありません。ですからこれまでの人生でその強みが強化されることはあっても、新しく強みが作られるわけではないのです。自分の人生の選択や人付き合いを振り返るとあながち間違いではないと思っています。

 

ドライというのはある種「つかみどころのなさ」であるとも考えています。僕は3つの世界を生きている感覚を持っています。1つ目は、「真面目そう」「お兄ちゃんっぽい」に形容されるような自分。2つ目は、「緩い」「柔らかい」に形容されるような自分。3つ目は、「キャリアへの意識が高い」「軸がある」に形容されるような自分。この3つの世界を、TPOをわきまえて生きていると思うのです。

 

このような自分を他人が見た場合、これまで思っていた庄山が急にどこかへ去って行ってしまった印象を抱くのかもしれません。僕としては、自分のベースの部分が変わるとは思ってないですし、人付き合いの仕方のようなものが変わるとも思いません。ただし、ベースの上に乗っかっている自分の異なる3つの世界観が時と場合に応じて変化し続けていることは事実でしょう。

 

人間誰しもアンビバレンス、すなわち二面性を程度の差こそあれ持っていると思うのです。厳しいように見えて実は優しいとか、完璧主義のように見えて実はどこか抜けているとか。ただ僕は3つの側面を持っていると自分では勝手に思っています。二面性によるギャップはギャップ萌えにつながるかもしれませんが、三面性によるギャップ(?)はドライとして受け取られるのかもしれません。

 

また「人を平等に扱う」ということもドライと言われる所以かもしれません。平等が好きというよりも不平等が嫌いという感情の方が強いと言った方が正確かもしれません。誰か一人に深入りするのではなく、性別や年齢国籍を問わず常に平等に接する自分がいるような気がしています。多くの人と平等にコミュニケーションの時間を取れば取るほど、一人にかけられる時間は減少していきます。

 

僕にとってなんでもないことが相手に、仲良くなりかけていたのになぜ仲良くなろうとしないのだろうといった疑問を持たせてしまうかもしれません。どちらが良い悪いということはもちろんないと思っていますが、感覚の違いがあるかもしれないことを絶えず意識しておく必要はあると思います。自分から相手に対してもしくは相手から自分に対して誤解が生じてしまうかもしれません。

 

ここまで「社交性」という言葉に注目して話しを進めてきました。ただこの言葉はあくまでストレングス・ファインダーによって診断された強みのひとつです。強みは意識してこそ強みとなるそうですが、そこにとらわれすぎるのでは本質をつかめていない気がしてなりません。強みを意識しつつ適宜自分を見つめ直していく柔軟な私になりたいものです。

 

ご覧いただきありがとうございました。

失礼いたします。

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