芯を持って、ゆるく生きる

読んだらちょっぴり勇気の出るブログ

57. 暇、だから考えられる

こんにちは。じぇいです。

7月に入ってめっぽう暑くなってきました。2年ほど前に野球部を引退してから、強い日差しのもとにお出ましする回数が激減したおかげで肌がとても白くなりました。初対面の人に「しろっ!」と言われる確率も年々高まり、野球を小学校3年生から13年間やっていたと言えば驚かれ、その野球人生の半分以上をキャッチャーとして過ごしていたと言えばさらに驚かれます。

 

 

去年の7月と言えば、就職活動の面接を8月に控えなんとも不安な日々を過ごしておりました。受験前や面接前などの重要局面が近づいてくると、胃がきゅーっと締めつけられるような感覚に陥り、食欲がなくなって体重が落ちるというのが毎度のことでございます。ですので、去年の7月は肌が白いひょろい人になっていました。それと比較すると今は健康的な外見でいられているような気がしています。

 

さて、前回のブログで次回は「モノはなぜ売れるのか」について書きたいと書きましたが、案の定気が変わってしまったので別のテーマで書きたいと思います(笑)研修中は基本的に定時で仕事が終わりやるべきことも先輩社員と比べて少ないので、「暇でいいよな~」と言われることもしばしば。ただしよくよく考えてみると、僕の「暇」に対する捉え方が周りの人と異なるようなので「暇」について考えてみることにしました。

 

一般的に「暇でいいよな~」を使う人は、「暇でいいよな~(私は忙しいのに)」という思いを含んでいると思います。それは嫌味や妬みを含んでいる心情とでも呼べるのでしょうか。このように「暇」を捉えている人は、その暇な時間は非生産的な時間であると捉えている節があります。暇な時間とはつまり、なにもやらなくていい時間だと思っているわけです。逆に忙しいときが生産的だと思っているのでしょう。

 

一方で、僕にとって暇な時間とは生産的な時間です。逆に忙しいと思っているときは非生産的な時間が多いと感じています。というのも忙しいときは、なにかを処理している場合が多いと感じるからです。僕もちょくちょく、やらねばならぬことを手際良く処理している自分に酔っているときがあります。ただしよくよく考えてみると、その時間でなにかを創り出しているわけではないのです。

 

忙しいときに行っていることは、やらなければならないことが多いのではないでしょうか。忙しいという感情はどちらと言えばネガティブな感情であり、好きなことに没頭しているときは忙しいと感じることが比較的少ないと思います。やらなければならないことは経験的に作業になってしまうことが多く、これをいかに早く終わらせて自分の(暇な)時間を創り出せるかが大事だと思います。

 

暇になるとその暇な時間を埋めようと脳が働き始めます。この時間がつまり考える時間に当たるわけです。もちろんこの暇な時間をどのように使うのかはその人次第です。僕の場合は、一日前/一週間前/一年前などのように過去を振り返ったり、3年後/5年後/10年後などのように未来を考えたりしています。普段どうしても目の前のことに追われがちなので、時間があるときは過去や未来に思いを馳せるようにしています。

 

今の自分とこれまでに経験してきたことにつながりを感じれば感じるほど、人は自分の人生を肯定でき満足感を得られやすくなるそうです。前回のブログでは1/100を3つつなげて1/1,000,000を創るという話しをしましたが、「つなぐ」という言葉が今後自分にとってより重要性を帯びてきそうな予感がしています。ということはつまり、暇な時間を確保できるかどうかが重要なのです。

 

一見するとなにもしていない人はネガティブな意味で暇だと受け取られがちです。しかしその時間で本当になにもしていない人と、なにかを考えている人がいるのだと思います。なにもしていない人を見ると「なにかしなさい」と言う人はどの世界にも一定数いるのではないでしょうか。そのような人を見ていると、高い確率でその人は忙しそうになにかをしています。しかしそれは作業に終始していることが多いように思えます。

 

今でこそこのように考えられるようになった僕ですが、特に野球をやっていた頃は作業に終始してしまうことが多々あったように思います。その作業によって結果が出てしまうと、さらにその作業を続けてしまうという悪循環に陥ることもありました。もちろんルーティンを作ってリズムを整えることは重要ですが、そればかりだと良くも悪くも変化がなくどこかで停滞してしまいます。

 

もう少し視野を広げてみれば、同じことを速く正確に処理することが求められる時代から、異なるものを受容して新しい価値を生み出していくことが重視される時代になってきたと感じています。このような時代の変遷に適応すべく、思考方式を少しずつ変えていく必要があるのではないでしょうか。今までがこうだからといった前例や常識に囚われていては、いい発想も出てこないと感じています。

 

さて今回のブログでは「暇」について考えてきました。暇について考えられるくらいには僕は暇なのでしょうか(笑)それはさておき、これからも暇な時間を大切にして考えを深める時間を意識的に取っていきたいと考えています。ここまでお読みいただきありがとうございました。それでは失礼いたします。

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